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ナムジャイブログ

旧ゴーストタウン

りしないほうが

脛に傷持つわたしは、逃げの一手。
正々堂々と胸をはって、「どうだ!!わたしの子育ては。完璧じゃろうが!!文句があるなら、言ってみい!!」
などとは、口が裂けても言えない。
ビクビクものだ。
わたしを糾弾する、非難の言葉の凶弾が、がんがん、びゅんびゅん飛んできそうになる前に、
卑怯にも、一目散に逃げる。


勝てないものには、逃げるが、勝ち。

これが、わたしの、卑怯人生、貫き通したポリシーである。

ということで、じつに情けない親だ。

親の姿を見て子が育つとしたら、まさに、反面教師という、そんな姿しか見せられなかった。
反面でも、一応、教師は教師なので。
たたき台があってこそ、良いにしろ、悪いにしろ、見本があってこそ、
自分の考えや感情が、わきあがってきて、固まってくるのである。

時間が経ち、自分も年齢を重ねると、親に対する目も変わってくる。
自分が、そうであったように。

とりあえず、事故なく、怪我なく、無事に、成人するまで育てたんだから、
それでいいとしてください、です。


わたしは、どうやらオモチャにされる傾向があるようだ。

この1年と数ヶ月、洗濯機に入れて回されたように、
ガランガラン、グチャグチャと、ぐたぐたに、かき回され、引っ張りまわされた感がある。
(ネットではなく、リアル社会での話です)

種々雑多な人間が、うようよいて、
それぞれの人々は、どんな人か、内面、背景、その他、まるでわからなくて、
その人間を知るにも、外側に現れている「見かけ」しかわからないのだが、
じつに、摩訶不思議なことである。

人間は、見かけが8割?9割?
見かけ倒し、ということも、大いにある。
浅く付き合うなら、見かけ倒しは、別に問題がない。
深く付き合うといったところで、結婚するわけでもなし、子供を作るわけでもなし、
借金をしたり、されたり、モノを貸したり、貸されたり、なにかのことで優遇をしてもらったり、したり、
推薦してもらったり、したり、損失を与えたり、与えられたり、
信用や生活の一部に影響を与えることがない限り、
そう深く付き合うことはない。

いっしょに遊んだり、どこかに行ったり、話したり、
そんな程度のお付き合いなら、べつに、見かけ倒しの人であっても、その場限りであっても、
さほど、大きな影響はない。
居住生活圏が同じ地域だと、あまり深入、なにかと無難だ。

一緒に生活し、子供を生み育てた夫婦でも10年以上、素性を隠し、騙し、騙されていた実話も、ごろごろしているし、
人付き合いも、どの分野で接しているかにもよる。


匿名性のあるインターネットとは違い、実際、面と向かって、目の前に実在する姿カタチが見えるリアル社会では、
自分と同じような人と、ご縁がある場合が多いように思う。

(インターネットでも、内面をはじめ、いろんな部分で、共通するものがある人が集う。
リアル社会でも、詐欺やら、自分を詐称するデタラメな人もいる)

とりあえずは



が、ブログによっては、そうでない場合もある。
なかには、マイナスの感情を引き起こすものもある。
なので、わたしは、円熟世代を目指し、好きなものだけをチョイスすることにする。
自分のこころを快適に保つために、能動的に自分なりの選択基準を設けることを意識すると、
おや、そういうことって今まで意識したことがなかったなあ、
と、今さらながら、小さな発見に対して、驚きとともに、新鮮な気持ちになる。

いままで、自分が快適なことを自然に無意識に選び、嫌いなことを避けていたが、(ただし、義務の範囲ではないこと)
はっきり意識的にやると、快適さは、さらに向上し、
突然、ふいに襲われる不快な気分は、極力、回避できる可能性が高まる。


こころをコントロールする、自分流の術を身につけると、
こころが、晴れやかに解き放たれる。
充足感で、満たされる。


?????

ちょっと、考えることがあり、
じっくり、考えようと思っている。
白黒はっきりさせたり、結論を急ぐものではないので、熟成させ、自分なりの答えを導きたい。円熟世代の方々と接する機会が、けっこうある。
彼らは、口をそろえて言う。

残された人生、嫌なことや、自分のためにならない、無駄なこと、人は避け、
自分の嗜好や目標に向かった行動を選択し、心と体のバランスをとる、と。
その「時間」「行動」の選択が大事、と。
ストレスフリーを目指して、心身の健康を保つ。
心身セットになっていて、必ず、日常に運動を取り入れていることを心がけているのが特徴だ。

こころや、行動の面では、自己チュー、エゴでもいいそうだ。
他人の思惑や主義、嗜好に惑わされ、自分を見失うのは嫌だ、と。
信念をもって、チョイスしなければ、時間は瞬く間に経ってしまう。
貴重な時間は、能動的に生きなければ、???と、非常に前向きである。

そして、思うこと。
似たような人間が、目に見えない糸で手繰り寄せられ、寄り集まる。
わたしの周りには、似たような主義で生きている人々が、多い。
なぜなら、わたし自身が、そういう、能動的人生を送りたいと思っているからだ。

今まで、ずいぶん流され流され生きてきた。
自分を見失うことはないにしても、思いの通りにはいかないことも多々あった。

ただ、自分で定義しているところの「円熟世代」に、わたしは、まだ達していない。
この「円熟世代」は、年齢だけのくくりではない。
しかし、わたしが勝手に定義しているので、世の中で使われている定義とは、少しずれているかも知れない。

わたしは、まだやらなければいけない義務が、たくさんある。
なので、円熟世代ではない。
わたしの定義する「円熟世代」は、すべての義務から解放された世代である。
ただし、自治会の掃除当番、とか、そんなのは、開放されていなくてもOK。
大きな意味での、解放である。

わたしは、プレ円熟世代、順番待ち円熟世代。
一生、円熟世代になれないかも知れないが、円熟世代になるであろう自分をイメージして、
それに向かって、ゆっくり歩いている。

子供の結婚、育児サポート、介護、お見送り、と、用事がまだまだ残っている。
自分が見送られる一歩手前が、円熟世代だ。
義務から解放され、心身ともに健康な、黄金の時期、これをいかに満喫するか、で、円熟世代の真価が問われる。
ぱたぱたと急ぎ足で、あの世に行ってしまう人は、それはそれで幸せかも知れない。
どのゾーンに、自分自身が長く居るか、が問題だ。
黄金ゾーン、円熟時期に、1秒でも長く居たい、留まりたいのは、誰しもが願うこと。
だが、健康を害したり、自分の意志ではどうしようもない展開があったり、予定通り、うまくいかないこともある。

わたしは、まだ、義母の世話も残っているし、孫も子供も、まだまだやることがあるのに、
無理をして倒れていては元も子もない。
命にかかわるようなことなら、がんばるが、そう自然搜索排名でないと見なす範囲では、
オーダーを厳選し、重要と思えないような注文は、却下することにした。

なので、できることしか、やらない。
文句を言われても、わたしも病気持ち。
弱い体の子(この年になって弱くなったんだけど)を産んだ、母親(自分自身)のせいであります。 暮らし

ブログ更新する時間が、やっとこさ零類接觸行銷取れた。

日頃、実質的には、ほぼ一人住まいに近いようなわたしだが、
いま、6人ごっちゃ煮同居、そして、遠路はるばる、わたしの実家への出張遠征・介護、と、
まったくをもって、180度違う生活をしている。

実家から帰り、さて、自分の家。
いつも、閑散と人の気配のない鮮魚行わたしの家だが、
わたしは、いま、賄のおばさん、寮母をやっている。
栄養管理士でもあり、調理スタッフでもある。
レパートリーは極端に少なく、冷奴と、豆腐と、モヤシが定番。

食費、びゅーんと、いっきに跳ね上がり。
買っても買っても、すぐになくなる。
一人に近いような時と比べると、えらく、どかんと開きのある動きになっている。
いつもは、すいすい涼しげな冷蔵庫が、ぎゅーぎゅー満員、詰め詰めになり、暑苦しい。

規則正しい食生活=デイリー生活。
出勤する時間が早い順番に、一人ずつ起きて朝食の後、順々に出勤。
わたしは、一番目の人から朝食作りし、自分は4番目の出勤。

帰りも、退社が早い人順に、勤務終了後、一人ずつ帰宅。
わたしは、一番目に帰宅。夕食作り役。
夕食は、最後の人が帰ってきてから、せいの~で、全員で食べる。
あまりにも遅い人は、待たないでほっておく。

孤食に近い状態から考えると、雲泥の違い。
ひと昔まえの、お茶の間テレビドラマのようだ。

お風呂も、朝の人、夜の人、順番、好み、いろいろ。
夜は、夕食後、デザート終了を合図に、リビング・食堂は消灯し、各自、各部屋に引き上げる。

ちょっとした、グループホームみたいなかんじか。
ホームステイしている外国人を数人預かっている、なものだ。

スタート時は、どうなることかと不安だったが、落ち着いてくると、けっこう、うまい按配だ。
各自、自分の活躍する時間帯が少しずつ違うし、コアタイムは、出勤しているから、
オフタイムだけの共同生活だ。
しかし、このオフタイムこそが、難しく、摩擦のもとになると懸念していたが、
いまのところ、いたって快適だ。
適度な距離感、そして、外出も、少しずつ時間がズレていたり。
個人やペアが、合流したり、個人行動だったり。

・・・・・・・

をかけることがあ

なんだか、悪い予感はしていた。
やっと席が空いたことは空いたのだが、この、ご近所迷惑な爆睡君の横の席。
しばらくして、案の定、爆睡君は、大きな派手な船をこぎ始めた。
しかも、被害は、わたしサイドばかり。
髪の毛がゆっさゆっさ、かぶさってくるし、かなり不快である。
こっちに、なだれかかって来るたびに、バッグ詩琳 好唔好で、ぎゅうっと押し返すのだが、効き目なし。
すぐさま、また、しなだれかぶさってくる。

バッグのみならず、腕や上半身で押し返しても押し返しても、ずっとずっと、それを繰り返す。
日頃は、温厚で、とてもおとなしく、めったに怒らないわたしだが、
段々、徐々に、温度が上がってきた。
めちゃめちゃ、ぐわ~んと不快度が上がってきた。
さらに、わたしが、まわりの人の視線も気にし詩琳つつ、彼をどかそうと必死で頑張っているのに、
彼は、一向にまっすぐにならず、しなだれ寄りかかってくる。

ごっつん、がっつん、ごんごん、がんがん。

なんで、起きない?
なんで、わたしに、何度も跳ね除けられて、目が覚めない?
なんで、あんなに爆睡する?
なんで、あんなに人に重く寄りかかる?

だんだん、わたしは顔が引きつってきた。
不愉快の極み。
いらいらは、募りまくって限界に達しそうだったが、
辛抱強く、忍耐強く、我慢強く、押しのけ続け、やっとこさ、とある駅で彼が降りた。

いやはや???
わたしにも、他人に対して不快感を募らせるこ詩琳とがあるんだ???と、自覚した。
若い、おにーちゃんでも、不快は不快。
いくら、どんなにイケメンでも、ダメはダメ。
あれが、テカテカのおっちゃんだったら、もっと不快だっただろうけれど。
いや、いかなる人であれ、気分が悪い。

眠たくて眠るのはいいが、人に迷惑をかけるのは、よろしくない。
少々、跳ね除けても、すぐまた眠りこけてしまうし。
すっとすっと、髪の毛や上体がかぶさってきて、ほんとにかんじ悪かった。

わたしも、電車での船漕ぎで、迷惑るが、
隣の人に、あからさまに迷惑がられ、がーーんと、跳ね除けられると、
瞬間的に、はっと目が覚め、赤面する。
そして、そのまま寝たふりをして、そっと船漕ぎしないようにする。
あんな、延々と続けない。


幼稚園から小学生の頃、バス通学していたが、
いつも一緒に乗って通学していた子が、窓に、ごんごん、がんがん、アタマや額をぶつけていたのを思い出す。
ず~っと、乗っている間じゅう、派手に打ち続けていて、あれでよく目が覚めないものだと、感心していた。
あの子が、大きくなると、昨日の爆睡男みたいになるのか?

ちょん切れてしまう

キャッチコピーを考える。
大枠は、ジブリの主みたいな(宮崎駿さんによく似た)人が、ほぼ決定していて、
あと、中田にアイデアを出させる。
メインのキャッチコピーと、サブのキャッチコピー。
お笑いの仕事の後、深夜のお店で、番組デレクターだ詩琳 好唔好かを相手に、100の案を搾り出す。
中田の手法のようだ。
彼は、お笑いのネタも担当し、こうやって100ぐらい考えるそうだ。

はじめにリサーチ、資料を集め、次に分類、分析、求められる方向性を決め、
それから絞込み。削り出し。そして、創作。
中田はいつも、他人のアイデアでは詩琳 好唔好気に入らず、自分ひとりで抱え込んで考えていたが、
人の意見やアイデアが、ヒントになると感じた様子。
それを、宮崎駿似であり、野坂昭如にも似ている、ジブリ主のおじさんから学んだ。
他人から才能、アイデアを引き出すのが、その人の才能である、と。
前に同じ番組で、どこやらの大統領の孫だかなんだかを売りにしている、ハーフのタレントが、
似たような「商品企画」の「お仕事」に挑戦していた。
プレゼンまでの道のりを描いていたが、ぜんぜん中田とはタイプが違った。
取り組みようが違った。
番組制作サイドの意図する見せ方のせいかも知れないが。
その孫タレントは、社員より早く帰り、あまり苦労も時間もかけず、考察も浅く、アイデアだけで、
ちゃらちゃらっと、やっていた(ように見えた)。
脳の回路が、違うのだろう。
人には、それそれ、違う脳を持っている。
考え方や、アプローチの仕方も違うし、やってきた経験があるのと、ないのとでは違う。
少なくとも、勉強をちゃんとしたことがある人と、ない人とでは、ぜんぜん違うと感じた。
勉強脳だからといって、ヒラメキがない場合もある。
秀才ではあるが、天才ではない。
いろいろ学び知っているだけに一歩、踏み出せない。
ありえないものが、生み出せない傾向にある。
そういう人は、勉強ができなくてもヒラメキのある人と組むと、補足しあえていいモノが生まれる。
感性と、思考、知識、応用、・・・どこをどう突付くか。
なにしろ、モノを生み出すお仕事は、大変なのだと、ぼんやり脳のわたしは、感じたわけである。

ちなみに、ちょろっとネットで調べてみると、
ある記事で、中田の奥さんが妊娠した報道で、多くのひどい、ネットの書き込みが、紹介されていた。
その記事では、「高学歴夫婦ということで、妬まれているのだろう」と解説されていたが、
世の中には、多くの妬む人が、そういう手軽で卑怯な方法で、他人を傷つけ、ストレスを解消しているようで、
とても落胆した。昨日、行きの電車の中で、自分のブログの入力ミスを発見し、訂正した。
ケータイで、訂正すると、長い文章の場合は。
で、ひょっとして・・・と危惧しつつも強行すると、やはり、ちょん切れていた。
ちょん切れていたのは、最後の1行だけだったから、まあよかった。
電車内では、自分のブログを校正したり、自宅のごとく爆睡したり、へんに和んでいるわたしである。

華やかにしてく

若女将が、美しい笑顔でご挨拶してくれた。
彼女が旅館の顔、広告塔、広報トップということだろう。
???端正な顔立ちの上品な笑顔からあふれる気品はさておいて、
残念なことに、お花を活けるセンスのある人物が、あの旅館には、いないようだ。
「センスがない」ということに気づいていないのか、
人材を補う余裕がないので、目をつぶっているのか、
あるいは、花のボリューム、花への経費が限られているのか。
はたまた、わたしのセンスがおかしいのか。


しかしながら、今回、はじめて思った。
今までなら、ちょくちょく滞在するホテルや旅館、ホール、店舗では、
「まあ、お花が美しいこと」と、、、豪華なお花や、さりげないお花に、こころ惹かれていた。

???

で、思った。
あ、そうだ。
今まで見てきたお花が、素晴らしいものばかりだったのだ、と。
特に、母のお花。
大作も小作も、わたしのこころに響いていた。
目をなごませてくれた。
素材によっては、凛とした佇まいを見せ、部屋の雰囲気をきりりと引き締めてくれたり、
柔和になごませてくれたりれたり。
空間に華をもたせる、とは、まさにこのこと。


どうも、母のおばさんもお花が上手だったらしく、遺伝かも知れない。
こういう遺伝なら、とても嬉しい。
が、その遺伝、今のところ、誰もまだ表面に現れていない。
わたしたちの甥や姪に現れるのだろうか。

ひょっとして、わたしが??????
ありえない。へた。
見るのは好き。感動もする。
せっかく活けてある花が、おかしいと感じたのは、今回が初めてだが、
たいがいは、美しさにうっとりしたり、こころ癒される。

ああ、めんどくさいことになった。
わたしは、お花を見る目が確立されてしまったようだ。
どれを見ても無条件に素晴らしい、と感動できなくなってしまったようだ。
一種の知りすぎた故の弊害かも知れない。

なにごとも、小さなことでも感謝し、幸せを感じるためには、経験は、ほどほどがよいのだろうか。
幸せの感受性ハードルを、自分で低くしなければいけないこともあるよ口服 避孕 藥うだ。趣味のことをここ、蝶ブログで書かなくなった理由。
それは別の、趣味に特化したSNSで、書いているから。
趣味リアル世界でブリッコしている自分の裏側を吐露している。
ここ蝶ブログに書いても、読み手はおもしろくもなんともない。
趣味の世界のことは、同じ趣味、同好の人のほうが、実情や内情は、手に取るようにわかっていただける。

リアル趣味社会では、自分でも胸が悪くなるほど、わたしは、いい人を演じていて、げげげっとなる。
なにしろ、社交ダンスなもので、男性Pretty Renew 美容院と女性の世界。
男性優位らしいので。

まあ、立てる立てる。男性を立てまくる。ゴマも、すり放題。
なにわの商人(あきんど)名物か。
それって、自分に実力が活膚緊緻霜ないからである。

できるはずもない

さてさて、今から人をお迎えする準備を。
掃除嫌い、整理整頓嫌い、人嫌いではあ蟲草Cs4るが、怠惰な身体にムチ打って。
ヒトの流れがあるということは、風通しがよくなり、悪くはない。
なにごとも、溜まる、停滞するのは、よろしくない。




ちなみにチェンジ ザ サブジェクト

テレビで放映されていた、延命治療せずに、癌で自宅で亡くなった62歳男性の話。
他のSNSで話題に上がっていた。

余命宣告されたら、自分ならどうするか。

そのアップされた内容は、ひとそれぞれ様々だった。
書いている内容と、実際に行う内容には開きがあることだろう。
しかし、心構え、準備をしておくことは悪くない。
今の生を濃厚に全うするためにも。

思いっきり、なになにをしたい。
今まで果たせなかった夢をひとつずつクリアしていきたい。
死ぬまで、思いっきり悔いのないよう、思いのままにやっていきたい。
と、希望を皆さん、書いておられた。
(実際には、病気が進行していけば、できなくなるし、要望もなくなることはわかっていても)

まずは、終活ですかねえ。
と、書いている人がいた。
常識人初中數學教學である。
わたしも、それに1票投じたい。
とりあえず、今、出来ることをリストアップ。
宣告されたばかりなら、まだ病魔は、そう進んでいないはずなので、
落ち込んでばかりいたら、その時期を逃してしまう。
だが、とりあえずは、落ち込む時期が必要だ。
落ち込むだけ落ち込んだ後、急いで計画を立てる。
引継ぎ事項の整理で、すべての持ち時間を使い切ってしまうかも知れない。
まあ、それはそれ。それで幸せかも知れない。

テレビの人は、身体のみならず、心のケアをするための専門の人からも、心療治療を受けておられた。
確実な死の到来を、明確な時期を示され、目の前に宣告させて、
安らかにおだやかに、肯定的に、幸福感を感じながら死を受け入れるなどから、大正解だと思う。
自分で克服できそうもないことは、他人のサポートを受ける。
これは、一人で頑張らないほうが、なにかとベター。
たとえ、事柄が「自分の死」であったとしても。

放映されていた男性は、他にも、栄養士や、看護士、身体や心をケアするプロ、などなどに自宅に通ってもらって、
残りの貴重な時間を過ごされていた。
あのチームの中に、宗教関係の人はいたのだろうか。
いたかも知れないし、いなかったのかも知れない。

こんなに寂しいの

楽しい、かわいい、将来への夢がたっぷりの、うれしいボランティアと、
その逆の、終わりに向けてのボランティア。
どちらもボランティア精神がないと、見返りや打算ではできない。
しかし、余裕があればボランティア精神もありだが、心身も時間も余裕がない場合、自身を削って、
そんな悠長な優雅なキレイごとを言ってられない。
あんなに可愛い赤ちゃんを育てる、同じキラキラ光る素晴らしいことでも、
一人で抱えると育児ノイローゼにもなりかねない。
介護も、キラキラはしていないにしても、最後のゆっくりした時間、厳かな時間であってほしい。
厳かになるまでが、本人も回りも大変で、
闘いの時間でもあるかも知れないが、多くの人の手が必要だ。
 
ゆとりがあると、愛が生まれる。
ゆとりがないと、愛が削られる。
協力が大事。
でも、みんな、理想どうりには行かないから、世の中には様々な現象が起きている。とある若手辣腕?税理士、K氏。
彼は、若くてカッコよく、努力家で勉強家で、その業界でもキレモノで名を馳せている。
どんなにカラダに異変が起こるぐらいの大変な瑪姬美容 暗瘡状況でも、点滴を打ちながらでも仕事をこなす責任感は強いが、
いささか、ワンマンで、オレ様タイプではあるので、事務所スタッフの方々や、ご家族の方々は、
ちょっと、しんどいかも知れないが。
彼は離婚歴がある。現在は独身。
彼の元?奥さんは、彼に見合う、当然ながら、ぴかりと光る、若くて知的あふれる美人だった。
彼が、射止めた。
ここでも手腕を発揮している。
結婚が破綻したのは、仕事魔である彼が、家庭を顧みること瑪姬美容 暗瘡できなかったことが、主な原因であると思われる。
仕事第一主義。
奥さんは、子供もいなかったので、共働きではあったが、彼のいない家庭に見切りをつけた。
夫は、いるんだけれど、いない。
奥さんは寂しかったのだろう。
寂しくないように、二人でいるために結婚したのに、なら、結婚する意味がない、と。
???
うさぎ病?
うさぎは、さびしくて死んでしまうとか?
この説は、ほんとうか、どうかは知らないが。(都市伝説か?)
男は仕事だ。
これは、彼の言い分。
家庭での時間を確保できないほど、若くして独立したK氏は、仕事に追われていた。

と不安になる

わたしが小学校高学年の頃に、父の仕事や我々の教育雪纖瘦黑店のため、町の家に軸足を移した。
そちらは、駅から即の、いきなり賑やかな商業地。
中間がない。
のんびり田園風景から商業地へと、いっきに景色が変った。
なんで、こう極端なの? 住宅地というものに、住んでみたかったと、その後、よく思ったものだ。

田舎の家もそれから、また第二次リフォームを行い、現在も実存するが、現在の家や庭の姿をまじっと見ながら、
第二次リフォーム後には消えた、リフォームする前の子供時代の部分を、まぶたの裏で復元させている。
過去と現在を上手につなぎ合わせたリフォームに雪纖瘦黑店なっている。

子供の頃の家、うっすら覚えている。
お風呂は、祖母が薪か小枝で焚いてくれた。皆、早く順々に入らないと、追い炊きが大変。
(田舎の家には、たいてい、手作り味噌を貯蔵しておく味噌部屋や、薪や枝木を入れる薪部屋、みたいなものがある)
どこかのタイミングで、ガスに切り替わったのかも知れない。
でないと、祖母が大変すぎる。



なんだか、思い出してあれこれ書いても、はっきりしない箇所も出てきて、
思い出すのに時間がかかる。
にもかかわらず、次のスケジュールが迫ってき雪纖瘦黑店ていて、のんびり回顧タイムに浸っている場合ではない。
書くのに時間はかかるが、読み物としては、ぜんぜん、おもしろくないし。
自分だけ楽しいっていうことだ。

ということで、中途半端ながら、
本日は、書き逃げいたします。
出かける前にお風呂に入ると、忙しない。
時計と、にらめっこ。
それに対して、
夜中にお風呂に入ると、時間を気にしなくていい。開放的。
だが、居眠りを含めると、お風呂から出るのは、えらく深夜になり、
数時間後(早朝)、起きれるかしらん?

お風呂のなかで、いろいろ考え事。
あれこれ、あれこれ、制限時間がないので、楽しい。
ふと、あの人、名前だんだっけ?と、人名ど忘れドツボに陥る。
すると、そればかり考える。
せっかくのお風呂フリーダムが、焦りと脂汗タイムに変る。
「あ行」「あ」から順々に「い」「う」「え」「お」と、

ぴたりと足が遠の

今のブログ名「蝶になりたい」は、とりたてて愛着はない。
とりあえず、理由のあるものだったが、変更せず、今日に至っている。
テンプレートのデザインともまったく関係がない。内容ともreenex 好唔好まるで、関連していない。
タイトルごと、リニューアルして、まったく別ブログとして一からやり直すか、考え中。
???
なんか、そう書いたら、急に筆が重くなった。
???
わたしは、このブログを筆で書いている???のか?
???
またまた出発時間が迫ってきている。
一日中、のんびりパソコンに向かっていたい。
しかし、いつまでもいつまでもいつまでも、パソコンにかじりついていると、離れられない自分が嫌になる。
その時は、ある程度の時間が経過したら、勇気をもって、パソコンの電源を切る。
熟しすぎ、煮込みすぎ、加熱しすぎ、焼きすぎはよくない。
ほどほどが、なんでも美味しい。
???
本日は、「ほどほど」などではなく、解凍でききってない冷凍食品をオーブントースターで少しだけ焼いたような、
そんな半ナマっぽさを重々に感じながら、投げ出し、ここで鑲牙オシマイです。
ブログより、目の前のスケジュールを優先し、ブログが負けた瞬間(投げ出した瞬間)です。
なんて、ブログタイムを宙ぶらりんでやめるだけなのに、いつも大げさであります。
今日は雪。
1日中、雪で積もるらしい。
今日の気分はカラ雑巾。
絞っても、一滴も出ない。
???
ちなみに、ブログの好みは変るのだろうか?
わたしは、大好きで毎日訪れていたブログが、いくつかあったのだが、
今は、ひとつ、もしくは2つしかない。
時間があるときに、ちょこっと覗きにいったりするブログもある。
ある2つのブログは、いた。
なぜだろう?
これは、わたしにも言えることだが、
ブロガーは、書いて発散している。
それを読み続けると、読み手には毒のような、副作用のような、目に見えないものが積み重なる。
そして、ある日、しんどくなる。
で、行くのをやめる。
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