正々堂々と胸をはって、「どうだ!!わたしの子育ては。完璧じゃろうが!!文句があるなら、言ってみい!!」
などとは、口が裂けても言えない。
ビクビクものだ。
わたしを糾弾する、非難の言葉の凶弾が、がんがん、びゅんびゅん飛んできそうになる前に、
卑怯にも、一目散に逃げる。

勝てないものには、逃げるが、勝ち。
これが、わたしの、卑怯人生、貫き通したポリシーである。
ということで、じつに情けない親だ。
親の姿を見て子が育つとしたら、まさに、反面教師という、そんな姿しか見せられなかった。
反面でも、一応、教師は教師なので。
たたき台があってこそ、良いにしろ、悪いにしろ、見本があってこそ、
自分の考えや感情が、わきあがってきて、固まってくるのである。
時間が経ち、自分も年齢を重ねると、親に対する目も変わってくる。
自分が、そうであったように。
とりあえず、事故なく、怪我なく、無事に、成人するまで育てたんだから、
それでいいとしてください、です。
わたしは、どうやらオモチャにされる傾向があるようだ。
この1年と数ヶ月、洗濯機に入れて回されたように、
ガランガラン、グチャグチャと、ぐたぐたに、かき回され、引っ張りまわされた感がある。
(ネットではなく、リアル社会での話です)
種々雑多な人間が、うようよいて、
それぞれの人々は、どんな人か、内面、背景、その他、まるでわからなくて、
その人間を知るにも、外側に現れている「見かけ」しかわからないのだが、
じつに、摩訶不思議なことである。
人間は、見かけが8割?9割?
見かけ倒し、ということも、大いにある。
浅く付き合うなら、見かけ倒しは、別に問題がない。
深く付き合うといったところで、結婚するわけでもなし、子供を作るわけでもなし、
借金をしたり、されたり、モノを貸したり、貸されたり、なにかのことで優遇をしてもらったり、したり、
推薦してもらったり、したり、損失を与えたり、与えられたり、
信用や生活の一部に影響を与えることがない限り、
そう深く付き合うことはない。
いっしょに遊んだり、どこかに行ったり、話したり、
そんな程度のお付き合いなら、べつに、見かけ倒しの人であっても、その場限りであっても、
さほど、大きな影響はない。
居住生活圏が同じ地域だと、あまり深入、なにかと無難だ。
一緒に生活し、子供を生み育てた夫婦でも10年以上、素性を隠し、騙し、騙されていた実話も、ごろごろしているし、
人付き合いも、どの分野で接しているかにもよる。
匿名性のあるインターネットとは違い、実際、面と向かって、目の前に実在する姿カタチが見えるリアル社会では、
自分と同じような人と、ご縁がある場合が多いように思う。
(インターネットでも、内面をはじめ、いろんな部分で、共通するものがある人が集う。
リアル社会でも、詐欺やら、自分を詐称するデタラメな人もいる)