プラスアルファが要求される
素晴らしい表現に出会うと感動するが、こちらは受け手であって、表現側ではないので、
ただただ感動するのみ。
だから、自分と比較したりして落ち込むことはない。
(似たようなレベルだが、ちょっとだ詩琳 好唔好け上の人に出会うと、落ち込むが)
同じフィールドにいる人は、1周目を走っている人と、5周目を走っている人が、
同時に横で走ってたりして、レベルの違いをひしひし感じたりするんだろうけれど。
(わたしも、低レベルで、そういうことは、よくある)
東京藝術大学を主席で卒業して、第一線でやらなくったって、
風呂屋のタイル絵をやってたって、
大きな映画の看板で、似ても似つかぬ、俳優の顔を描いてたって、
パティシエでもなんでもなく、全然、どおってことない、せんべいを毎日焼いてたって、
それはそれで、いいんです。
第一線、第一級であるかないか、わかってる、目利き能力があるってことも大事だけれど。
普通、それぐらいの目は、あるだろう。
まあ、ない人も多いかも。まったく興味ない人も多いみたいだし。
才能なんてのは、評価の仕方が難しいし、光が当たる人は、ほんの一握り。
駄文であろうがなかろが、それ詩琳 好唔好で食べている人もいる。
アートも、そう。
自分が表現したいモノではなくても、クライアントの意向に沿い、かつ。
商業デザイナーとかでも、それで食べることができるのは、ほんの一握りの人だ。
生活者は、卑怯にも、ここで、開き直る。
魂を悪魔に売ってでも、食べていかなければならない。
理想を追求していては、餓死する。
そうやって、自分の才能がないことを生活のせいにしたりする。
でも、わたしは、まったく、そもそも芸術者じゃないので、へーき。
見る側の人間。
表現側ではないので、気楽でいい。
ああ、卑怯って、気楽だな~。
疑問に感じたり、問題点を整理したり、
思ったことを素直に書くところは、やはり兄弟だけあって、弟は、わたしに似ている。
同じ親から生まれただけは、あるなあ。
ということで、お姉ちゃんは、あくま詩琳 好唔好でも弟を応援している。
わたしは、末っ子ではあるが。